ジョゼフ・ヒューベルトゥス・ピラティス
ピラティスは1883年12月9日にドイツの小さな町で生まれました。幼少期はとても病弱で、リウマチ熱、くる病、喘息に苦しんでいたそうです。病を克服したいという気持ちから機械体操、レスリング、ヨガ、ボクシング等で体をつくり、14歳には鍛え上げられた素晴らしい体になっていました。そののちも身体訓練法を研究していったのです。
1914年に第一次世界大戦が勃発。当時イギリスでボクサー県護身の指導者として働いていたので、ドイツ人だった彼はイギリスの捕虜としてマン島の収容所へ送られてしまいました。
そのマン島で彼は看護師として働き、自分で開発した身体訓練法を同じ捕虜の仲間に伝え始めました。
寝たきりで働くことできない患者に対して、ベッドを改造し現在のベッド型ピラティスマシン「キャデラック」を開発。
リハビリができるマシンを開発したわけです。
1918年に世界的な希望でインフルエンザが流行し多くの方がなくなったのに、ジョセフが指導していたマン島のクライアントは誰も病に倒れなかったことは有名なエピソードです。
終戦後ドイツに戻ったジョセフは自分で考えたメソッドを多くの人に伝え始めました。瞑想、ホメオパシー、呼吸法、モダンダンスにも興味を覚えました。特にモダンダンスをきっかけにダンサーとのつながりができ、彼が考案したピラティスメソッドを多くのダンサーたちが基礎トレーニングに組み入れることになったのです。
1925年ドイツの政治的傾向が合わず、ボクサー仲間に渡米を進められたことをきかっけに彼はアメリカに移民することを決断しました。
あアメリカへ向かう貨物船の中運命の女性クララ・ゾイナーと出会います。のちに彼のパートナーとしてよき理解者となった方です。
1926年ニューヨークに到着し8番街のジムで働き始め様々なダンサー、セレブ、バレリーナ、パフォーマー等に指導を行いました。
彼はヘビースモーカーであったのにもかかわらず84歳で亡くなるまでピラティスを現役で行えたといわれています。
「10回で気分がよくなり
20回で見た目がよくなり
30回で新しい体に生まれ変わる」
ジョセフ・ピラティス